MAKAN-魔鑑

貴女という名の魔術鑑定

Synchronicity and magick

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シンクロニシティと魔術
Copyright Robert Michael Place 2006-2017
著作権:ロバート・マイケル・プレイス (2006-2017年)

この記事は、Llewellyn(ルウェリン)著 "Magical Almanac" (『魔術年鑑』)に掲載されました。

あなたの深層意識-「元型」とは?

因果律では説明できない事象:
「魔術」という言葉は、ユングの「シンクロニシティ(共時性)」という言葉の同義語であると私は確信する。

シンクロニシティと魔術の関連性についてはユングも認めるところで、著書にも記されている。
したがって、私はこの主張については自信がある。ユングは『易経』(英題 "I-Ching(イーチン)" - ヴィルヘルム/バインズ訳)の序文を書いているが、そのなかで「この中国の神託(一部では魔術とみなされている「易経」)を首尾よく受け取れば、 「シンクロニシティ(共時性)」原理を体験できる」

*ユング Carl Gustav Jung 1875‐1961
スイスの精神医学者。 分析心理学の創始者。


 ユングは、シンクロニシティ(共時性)を、外的事象と、夢や空想あるいは思考などの内的事象の 「意味のある偶然の一致」であると定義している。これらの事象が同時に起こると、偶然にしてはあまりにも意味が深いと我々は感じる。つまり、意味のある偶然の一致は、神聖な力と私たち人間との交信の現れのように写る。そして、精神と物理的実体とのつながり、あるいは相互作用は、 この「意味のある偶然の一致」によって裏付けられると説いたのである。

 ユングは、著書『思い出・夢・思想』 (原題:"Memories, Dreams, Reflections") のなかで、 彼が実際に体験したシンクロニシティについて書いている。のちに現実となった不思議な夢が冒頭に描かれている。 その夢のなかで、ユングは初めて、自分の心の指導者の「元型」を見た。彼は、フィレモンという名のギリシャ・グノーシス派の老賢者で、くるぶしまでのローブと 長い白髭を生やし、色鮮やかなカワセミの翼を持っていたという。以下は、その夢を見て数日後に起きた出来事である。なお、その間ユング自身は、夢に現れたフィレモン像を描いていた。

"私は夢中でフィレモン像を描いていた。
すると、驚いたことに、湖岸に面した自宅の庭で、なんと、死んだカワセミを見つけたのである。
私は雷に打たれるほどの衝撃を感じた。
チューリッヒでは、生きたカワセミでさえめったにお目にかかれない。
ましてや死んだカワセミなんて今までに一度も見たことがなかったからだ。
死んでからまだそれほど時間が経っていないようであった。
せいぜい死後2、3日くらいだろうか。外傷も全く見当たらなかった。"

 ユングにとって、これはまさに魔術としか思えないほど衝撃的な出来事だったと感じ取れる。
ユングにしてみれば、自分の目の前に現れたカワセミは、フィレモンが自分の実在を示すために行ったことのように思えただろう。しかし、ユングは、これらの出来事を、単なる因果律の一つとは とらえず、純粋な創造による非因果的な事象であると主張したのである。さらに、ユングは、シンクロニシティ(共時性)が生じると、 心の指導者などの「元型」が活性化する。 しかし、「シンクロニシティを引き起こす原因」=「元型」と考えてはならない。

 シンクロニシティとは、ただ単に、元型が我々の表面意識に現れたときに生じる「事象」の一つなのだ。

先に述べた「魔術」の定義はこの理論によって打ち破られる。

誰しも、魔術は、魔術師が研究した因果律であると定義付けようとする。
西洋文化はその典型で、全ての事象を因果律によるものとし、偏見の目で見る傾向にある。
しかし、現代人は、もっと深いレベルから物事や実体を見つめるべき段階に来ている。
そこは魔術が実在するところであり、魔術が「高次の意識」の探求に関わると私が考える 理由はここから来ているのだ。

 ここで説明したことの意味を充分理解するには、 ユングの心理学用語、 "archetype" (『アーキタイプ』 - 『元型』)の定義についても明確に しておく必要がある。「アーキタイプ」と言う用語は、もともとギリシャの哲学者プラトンが使った言葉をユングが拝借したものである。プラトンは、永遠不変な真の存在を追及し、この二つは互換性を持つと考え、五感に頼った現実(実体)の見方を信頼せず、現代の経験科学とは正反対の見解を打ち立てた。そして、感覚の世界は一時的で可変性のものであり、 これらの対象物の本質である型(パターン)やイメージこそ永遠不変な真の存在であると説いた。 この普遍的な型を持つイメージの形式が『元型』である。



つまり、こういうことだ。 飼い猫の寿命というのは、永遠不変のものと比べると非常に短く、あっけないものである。 だが、この飼い猫の「型」は、他の動物とは異なる。 よって、私たちの視覚でとらえた飼い猫の「型」(外観)というのは、全ての猫に共通する「型」にすぎない。 猫は猫を生み、その型や性質は子孫へと受け継がれる。この「型」は永遠不変である。 猫という動物がこの世に存在する限り、猫の「型」、つまり、我々が抱く猫の普遍的概念(イメージ)も 存在し続けるのである。これが、プラトンの指す「真の猫」、すなわち、猫の 「元型」である。 「真の猫」とは、猫という生物種全体に共通する「傾向」「本質」であり、 この「本質」に基づく猫の意思行動を、私たちは猫の「本能(直覚)」と呼ぶ。

 
人間は、他の動物にもそうだが、人間同士でも、そして自分自身に対してさえ勝手な思い込みをしている。
この個々の物理的実体(肉体)と同一化する意識のことを、ユングは "エゴ" (『自我』)と呼んでいる。
つまり、意識の表層次元のことだ。人はこの部分を本当の自分だと思い込む。
なぜなら、「自我」は、自己欲望を達成するために外の世界を操ることができるからだ。
したがって、全ての意識を管理しているのはこの自我(エゴ)だと思い込む。

しかし、実際には、自我(エゴ)は願望を生み出すことはできない。願望は『真の自己』、つまり、純粋で高次な意識によってつくられるもので、 「自我」はこれを実現しているだけに過ぎないのだ。

 プラトンは、元型の本質と型の基本構造は「数」にあると唱えた。
この元型の「型」(形式)が、個々の細胞核中のDNA、つまり、各生物の分子の数値形式を通して 各々の生命体に関与しているというこの理論は、現代科学でも立証されている。 この発見によって、今後は経験科学の面からも元型的自我は立証されるだろう。

 次に、現代の量子物理学的な見地から眺めてみよう。どんな物質になるのかは、原子中の電子と陽子 (イオン)の数によって決まるという法則がある。(これも、実体は数によって決まるという一例である。) しかし、これらの素粒子の性質を確定する段階においては、これらの素粒子は、 物質的特性あるいやエネルギー特性を有することが可能な無形物の集合体である。 また、この無形物は、存在物の内外を行ったり来たりして物質に変化を生じさせる非因果的な習性も有する。 そして、この要素が波動なのか、それとも粒子なのかを我々が特定する段階においては、 その実験の性質による予測に依存する結果が出ることもあり得る。

 これらの事実は唯物論的世界観を揺るがし、「精神(魂)」と「実体」との関連性の実在を立証する。
結局のところ、全ての物質的実体は、宇宙の数値的思想の非実体的な表現体であるという事実が残される。
錬金術師はこれを "Anima Mundi" (アニマムンディ -『世界霊魂』)と呼ぶ。 加えて、私たちの思考や思想というものは、「地球の意思」の現れなのである。

 ユングは、無意識の研究の中で、「時を越えて万人に共通し、宗教や神話にも共通する精神原型(性格) は深層意識(無意識)から生まれるものである」と唱え、これを『元型』と呼んだ。意識の最も深いレベルで、物質の研究に携わる量子物理学者などは、『普遍的無意識』という広大な 海に埋もれている『元型』を見落としていたことに気付いたのである。
そして、ユングはこれを、もともと錬金術用語である『単一世界』 ("Unus Mundus" - ウヌス・ムンドゥス)と呼んだ。

 易経やタロットなどの神託を行うとき、私たちは記号(シンボル)を使い、これらの無意識の元型を 表層意識上に呼び起こす。神的存在とも呼ばれるこの「元型」は、のちに実体化される精神原型が 生み出される深層意識が短時間で発現したものである。このため、私たちは理想とする将来を現実のものとすることが可能なのだ。 そこで、先に論じた「魔術」の定義について振り返ってみよう。

 私たちが魔術を行うとき、精神(魂)の内的世界を操る記号(シンボル)を使うが、これによって、 外界、すなわち、物理的世界に変化が生じる。これを首尾よく達成すると、その変化はあたかも奇跡が起こったかのように映る。つまり、物理的世界における普通の因果律を超える事象であるとか、何らかの神秘的な方法でもって 外界に働きかけたかのように映るのだが、私たちは、精神を操る記号(シンボル)を使うことで、元型を活性化させているのであって、 実際、多くの呪術儀式において、私たちは神や天使、あるいは悪魔と意図的に接触している。 よって、魔術によって引き起こされる事象は、一つの元型の発現、裏を返せば、シンクロニシティ(共時性)なのである。



先にも述べたが、ユングは、シンクロニシティ(共時性)または魔術は、真の創造の非因果律的事象であると考えている。 我々西洋人がこの概念を理解することはほとんど不可能である。 先に私が引用した定義は、要するに、「魔術」とは、科学ではまだ認識されていない力を利用した因果律的事象だということである。 したがって、これを「非因果律的」と呼ぶのは、「単なる偶然」だと呼ぶのと大して変わりないが、 私たちの立場から言うと、これは記号を用いた象徴的な儀式によって生じるものである。なぜなら、この二つは常に同時発生するからだ。魔術とは本当に、私たちの自我(エゴ)が生み出した幻想に過ぎないのだろうか? 魔術を使って願望の達成を試みるとき、自我(エゴ)によって変化が生じるように思えることもあるだろう。 しかし、自我(エゴ)が実現しようとする願望そのものは、「元型」によって生み出されるものである。 おそらく、私たちが行う魔法作用というのも、一つの「元型」の現れであると私は考える。 これは、「ほとんど誰でも日常的に儀式を行っているが、これがシンボリズム(象徴主義)であることを 彼らは意識していない。」と、ユングが述べていることからも十分立証できる。


 非因果律を分かりやすく説明するために、瞑想を例に挙げてみる。
私たちが瞑想をするとき、私たちの思考というものは、どこからともなく現れる。
思考は、「無」から生じるのだ。その思考を次々に展開させて別の思考を生み出すことができるが、心を落ち着けると、
その別の思考というのもまた「無」から生じるもので、そこには「原因」は存在しないということが分かる。
これは「素粒子は無から発現する」という物理学者の見解と同じである。元型も同様に、深層意識レベルの「無」から生じる。

 『単一世界』("Unus Mundus" - ウヌス・ムンドゥス)と呼ばれるこの「次元」こそが、 真の創造力であり、精神的実体と物質的実体はここから生じる。変化を生じさせたいのなら、私たちはこの次元に到達しなくてはならない。
しかし、単一世界に入ると、自我(エゴ)は分散し、我々の意識は願望を超越してしまう。
では、願望がなければ、我々はどうやって願望を表すことが出来ようか? これが魔術のパラドックス(矛盾)である。
魔術は、無意識から元型が生まれると同時に、我々の欲望がまだ消滅していない中間ゾーンで行わないと意味がない。

※中間ゾーンの具現化こそ、「MPセラピー」の本質である。(NOBUYA)


 ユングの説には相反するが、私は自分の経験から、 本来持つ「元型」を 「自分の理想とする元型」に変化させることが可能であることに気付いた。仮に私が本来の「元型」を、変化を生じさせる力を持った一人の人格として接するとしよう。 私が元型に助けを求めると、この因果関係を通して変化が生じる。ただし、その元型の現れ方は驚くほど非因果的律でもあるのだ。 仮に私が「元型」は「単一世界」の現れだと考えると、非因果律的なシンクロニシティ(共時性)が生じる。 ここで再び私の頭をよぎるのが、量子的物理学者の発見である。 彼らが、素粒子の定量が固形微粒子であることを証明する実験を行えば、推測通りの結果が得られ、 固形微粒子が非物質的(無形)の波動であることを証明する実験を行うと、推測通りの結果が得られる。 いずれの場合も、実体は見る人の期待に応える。見る人の予測は、結果と密接に関わっているのだ。 これが魔術である。

脚注* アレイスター・クロウリー著 "Magick in Theory and Practice"  (『魔術 - 理論と実践』) p.4. キャッスル・ブックス出版(ニューヨーク)
脚注** カール・ユング=グスタフ著 "Memories, Dreams, Reflections"  (『思い出・夢・思想』1989年) p.183. ヴィンテージ・ブックス出版(ニューヨーク)


 
画像著作権所有者:ロバート・M・プレイス Art c Robert M. Place 2006-2017
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