歴史をひもとく:
歴史をひもといてみると、世界中の芸術が信仰と共に発展、昇華してきたとこがよく解る。
教会の壁画、音楽、踊り、「ファッション」さえも、 世界各国の信仰・宗教と共にその芸術性を昇華させて来た。
自然崇拝の信仰から、一神教、多神教、また、現代では「魔術」と呼ばれるものも含め、ありとあらゆる信仰が人々の内面性を触発・刺激し芸術性を高めてきているのである。
なぜ、信仰がこんなにも、人々の「芸術性」を高め、飛躍させるのか?
すぐに答えを出すよりも、まず、各人が「自分自身」と対話していただく事のほうが、核心に迫れるように思う。
芸術と母性:
芸術家が、自己の最高作品を生み出す瞬間に感じたとする感覚には、文化・習慣・言語などの違いがあるにも関わらず、世界中に共通性を見出すことが出来る。「神が降りてきた」、「神と一体化した」、「神に揺さぶられた」などなど、がそれである。
ここで、非常に不思議な現象がある。上記の言葉を発する芸術家には、日本人がよく言う、「無宗教」の人々も数多く存在する。 つまり、神や仏、自然崇拝などと、日常生活で、信仰意識を持たない芸術家であるにもかかわらず、これらの経験をしているのである。芸術家は「格好つけ」のために神や仏を利用しているのであろうか?いや・・・そうでは無いらしい。日常的に祈りの行為をするしないにかかわらず、芸術家たちは、作品作りの際に、「信仰体験」をしていたのである。
これが、「祈りの元型」とも呼べる出来事である。
ここで、最愛の我が子が命にかかわる突然の事故や病気に遭遇した際、「母親」が無意識に、
又、反射的に行う行為・心理的行為について考察してみよう。
信仰の有無にかかわらず、「どうか、我が子を・・・」と母は祈り始める
なぜなのだろう・・・信仰を持たない母が祈り始めるのは。母は何に対して祈り始めるのであろうか?
ここに、信仰・宗教性と母性との深い関連性、つまり「人としての本能」が存在しているのである。
ここで言う「本能」とは動物学的なものだけで無く、社会の中で生きていくという「人」としての本能である。
創造し、産み出すという行為は、「母性的行為」とも呼べるであろう。
芸術家、いや、人間は「母性」・「祈り」との関わりがとても深いのである。
母性に関しては、普段の「意識」の範疇での認識が可能だが、「祈り」は、普段は、無意識・深層意識の領域に眠っているのである。特に、現代人は 「生死」にかかわる出来事や、「生命」に関する重大事項を経験しないと、「自分の中に信仰心がある」とは、よもや思ってもいないのであろう。
父親の反応:
では、上記の子供の事故の例での、「父親」の反応はどうか?
母親とは違い、父親は反射的には「祈り」をしないケースが多い。
個人差はもちろんあるにしても、母親と比較するとそういった反応をすぐには示さない。
なぜか?深層心理的な領域では、男性は、「宇宙の全ては自分でコントロール出来る」と思い込んでいるからだといわれる。
仏教では、「男性の本質は傲慢」と表現される。とても興味深い考察ではないか!
では、上記の子供の事故の例での、「父親」の反応はどうか?
母親とは違い、父親は反射的には「祈り」をしないケースが多い。
個人差はもちろんあるにしても、母親と比較するとそういった反応をすぐには示さない。
なぜか?深層心理的な領域では、男性は、「宇宙の全ては自分でコントロール出来る」と思い込んでいるからだといわれる。
仏教では、「男性の本質は傲慢」と表現される。とても興味深い考察ではないか!
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