MAKAN-魔鑑

貴女という名の魔術鑑定

Blood

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月経の普遍的原型-「血」


月と同様に、血は、古代から人類の関心を引き寄せてきた最も重要なシンボルの一つであり、'生命の神秘'を象徴する。本来、血は、生命力の象徴とされ、装飾用小像や洞窟壁画など多くの古代芸術にも、赤い絵の具で描かれた血を見ることができる。

血は、最初期の人類が崇めた聖体の一つでもある。旧石器時代、人は死ぬと、両腕を胸の上に交差させた胎児のポーズにされ、「命の再生」の象徴である赤い顔料(土の色素)を体に塗られて埋葬されたという。

血には、衝撃を引き起こすパワーがある。体から血が出てきたら、私たちはどう感じるだろう?血は、私たちの命の存在の神秘さの表れの一つである。私たちはどこからやってきていかにしてこの世に生まれてきたのか?心臓が鼓動し、体中の静脈に血が送り込まれているからこそ、私たちは生きていることを実感する。血は脈打ち、体内を流れ、私たちの体を休むことなく循環している。

ここで言う「血」とは、ぽたぽたと流れ出る血、つまり、見る者を失神させる「流血」のことである。血を見て失神するのは、血を見た瞬間、突然おそいかかる感情の激動と死への恐怖感からであり、大量の血が体内から流れ出ると死に至りかねないことを人は本能的に知っているからだ。血は、月経と出産の時を除いて、いかなるときも体内にのみあるべきものだ。 女性が命を落とすことなく血を流せるのは神秘的なことであり、それゆえに、古代では神聖な力として崇められたのだ。

私たちの体に流れる真っ赤な血は、とくとくと脈打ち静脈を通して体中に流れ、老廃物を拡散させる。血は体内に生命力を行き渡らせる運搬装置、そして、導管なのだ。

かつて王や女王の血の色は紫とされていた。王家の血、百姓の血、アイルランド人の血-現代でも、血統や家柄を表すのに未だに「血」という言葉が用いられる。血統という概念は、共通の先祖という概念と同じ意味である。部族の儀式では、儀式の当事者達が血縁関係で結ばれていること、つまり、血を分けた兄弟姉妹であることを象徴するために、互いの血を混ぜることは珍しくない。ヨーロッパでは、ジプシーの結婚式で、花嫁と花婿は互いの血を塗ったパンを食べたり、手のひらや腕を傷つけて血を出し、互いにこれを飲む儀式もあった。

赤は血のイメージに通ずる独特の象徴性を持つ。中国では赤は富を意味する色とされ、結婚式などのめでたい儀式で着る色だった。マオリ族の風習では、聖変化したものは赤く染まるとされ、また、イースター・エッグも赤い色に染めるのが一般的であった。ケルト時代の英国では、赤く染まるのは女神によって選ばれた王であることを意味していた。

一部の文化では、経血には神秘的な治癒力があるとして崇められている。中世時代の医者は、若い娘の経血でらい病が治ると信じ、媚薬作用もあると考えた。経血を神聖なものとみなす文化は他にも多く存在する。タントラ教の慣習では、男達は経血を飲んで強靭な精神力を得ていたとされる。現代のタントラ教でも、非正統宗派の集団儀式で、赤ワインと経血を供物としている。経血信仰は、道教信者、エジプト人、ペルシャ人、ケルト人にも共通している。

経血は農業用肥料としても用いられた。よって、女性だけで行う農業の発達における重要な鍵のひとつだったのかも知れない。女だけが行う「テスモポリア」という秋の祭りでは、古代ギリシャの女達は種トウモロコシに経血を混ぜたという。以下は、シャトルとレッドグローブの著書からの引用である。いくつかの情報源によると、最初に農業を考案したのは女性であるという。 女達が種トウモロコシに経血を混ぜたのは、種蒔き前に経血を混ぜると最高の肥料となるという秘訣を知っていたためである。男はこのような魔法の血を持たないので、子育てに関してもそうだが、女だけで作ったものほど丈夫なトウモロコシを作ることはできなかった。

女性中心の文化では、生命力の神秘さのシンボルである経血に魔力が宿ると考えられていた。エレナー・ガードンは「古代の儀式においては、月経周期や新しい生命を育む子宮の血が崇められていたと考えられる。」と述べている。

血は、私たちをこの世に送り出す「生命の源と神秘」の重要シンボルとして崇められていた。女性が月に一度出血するということは、女性がこの「生命の源」により近い存在であることを意味していた。女性生来のこのパワーは、なぜこれほど女性の経血が崇められたかを解き明かす重要な鍵なのだ。家長制度に移り変わった後も、男の子の思春期の儀式では血を流す行為が行われた。オーストラリアのアボリジニ族の割礼、ラコタ族の太陽の踊りで胸にピアスをするのがその一例である。これらの儀式は、女性が必然的に経験する月経の模倣であった。

月経前になると、女性の多くは、神経が過敏で不安定になるのが普通である。私達の社会は太陽を崇めている。したがって、エネルギーをふんだんに使い、社交的で外向的な振る舞いが好まれ、物静かで内向的なもの、詩的なものは一般的にあまり評価されない。現実主義や物質主義を好む文化においては、夢想家に存在価値はない。しかし、私達が映画を見たり、ラブソングを聞いたり、詩を読んだときにわかるように、月との関わりがあってこそ得られる魂の栄養がある。満月の下、水辺にたたずむと、イマジネーションがふくらみ、精神が豊かになり、生命への畏敬の念が湧いてくる。


キリスト教の聖餐式では、赤ワインはキリストの血を象徴するが、キリスト生誕以前の数百年間は、赤ワインは「太母」や「聖女」のシンボルとして用いられていた。男と女が血のシンボルである赤ワインを飲む儀式は多くの文化にも見られた。デュオニュソスの秘儀やタントラ教の儀式にもそういった儀式がある。赤ワインは、経血、つまり、人の命を生み出すこの魔法のような体液を象徴するものと認識されたこともあった。

血の生け贄という慣習は、古代において聖餐に経血を用いた慣習に由来すると考えられている。男の祭司が権力を持つようになると、女性の地位が力を失ったのと同様に、女性だけの生理作用である月経のパワーも、崇拝儀式における重要なポジションを失った。そして、内なる神や女神に向けられていた人々の信仰は、動物や人間の若者の血を外的な力への生け贄にすることでその怒りを静めるという概念を帯びていった。これは、血は「生命そのものに元来備わる神聖さ」の象徴である、という古い時代の認識がゆがめられた形と考えられる。経血を神への供え物にすることと、血を捧げるために人間または動物を犠牲にし、これらの血を供えるのは全く異なる。経血を供えることは、「生」を確認し、命の尊さと素晴らしさを再認識するための行為とされ、そのような考え方は現代でも変わっていない。

男が女の体内から出た血をうらやむあまり、月経に関する数多くのタブーを煽った可能性は十分ある。経血は汚染物であるという現代人の概念は、経血を聖変化したものとみなす古代の認識が、時代を経て歪められたものである。

Honoring Menstruation ©Lara Owen
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