Ain Soph Aur ~ アイン・ソフ・オウル(無限光のベール)
アインから発せられる光のエネルギーによってカバラの仕組みを理解しているカバラ実践者達は、四界、すなわち、四段階の意識層は連続して生じると考えます。一つの界層だけでセフィロトを完全に理解することは不可能であり、このため、カバラ実践者達は四つの摂理において生命の樹におけるセフィロトの複雑性を表現するのです。各セフィロトはこれらの四界を通して四つの方向に神性を顕現し、カバラの創造的進化プロセスはこれら四つの世界で構成されています。
四界は必ずしも重なり合うものではなく、むしろ、混ざり合い、織り合いながら共存するのです。
エネルギーは、生命の樹の全ての要素とセクションの内外において交差します。これらの四界は生命の樹と同様に動的であり、10個のセフィロトは全て、各界に存在します。したがって、22個のパス(小径)も同様に各界に存在し、元型の意味において、 タロットの大アルカナ22枚と、体内のミクロコスモス(小宇宙)としての チャクラ とも対応しているのです。
真の魔術とは、「願い事を叶えてもらう」ための受動的行為では無く、自分自身を成長させる為の「能動的行為」です。
ここでのキーワードは「感化力」、つまり、神秘的な力の発揮です。
完成点とは、カバラの要素が「存在」するところではなく、カバラの要素が「影響を受ける」ところなのです。
言い換えれば、物理的存在はなく、影響力、つまり、運動・形態の変化などを生じさせるエネルギーを持つ領域なのです。
その役割は、各界に存在する10個のセフィロトを通してアイン・ソフ・オウル(Ain Soph Aur, 無限光のベール)が発する神性エネルギーを表に引き出すことです。
わかりやすく言えば、実際の生活において「一歩、歩み出せるようになった」・「今まで踏み出せずにいた事に、チャレンジできた!」といった、心と行動の変化なのです。 そう!それが本来の意味においての「魔術」なのです。Ivory Cat-私自身のこと
無限光のベール
ディオン・フォーチュンは、このベールを「無の存在」であると述べ、さらに、「カバラ体系において、カバリスト(カバラ実践者)達は神性の顕現におけるある一定のポイントにベール(幕)を引き、覆い隠します。そこに何も無いからではなく、精神をそこで一時停止させなくてはならないからだ。」と述べています。
フォーチュンによると、カバラ実践者達は神性の顕現の四つの界層、すなわち四界を認識しているほか、 非顕現の三つの界層、すなわち、三つのベールとも認識出来ます。ケテルの上に存在するこれらの三つの抽象的な領域は、アイン(Ain, 無のベール)、アイン・ソフ(Ain Soph, 無限のベール)、そして、アイン・ソフ・オウル(Ain Soph Aur, 無限光のベール) と呼ばれ、これらは純粋に象徴的な概念です。これらの三つのベールによって私たちは思考を超越することができ、同時に、これらの意味を覆い隠し、表に現さないことも可能だと述べています。
フォーチュンはさらにこのように書いています。「抽象的な事物を具現化することはできない。したがって、無の存在のベールは我々が認識し、具現化できる範囲にはない。だからと言って、私たちがこのベールの影響を受けないということではない。この領域は『実存』の手前に位置しており、我々の意識の領域内にありがなら不可知の領域である。しかし、これは、進化を理解するにあたっては必要不可欠な領域である。私たちの精神に、万物の根源へと向かう気持ちを与えるからである。」
マルクト、アッシャー、そしてクリポトの間に位置する完成点は、一つの界というより、むしろ、一つのベールと呼ばれるべきかも知れない。カバラでは、完成点を除く全てのものが各四界に存在するが、なぜベールは三つしかないのか?この領域は、時を同じくして三つの方向からエネルギーを引き出そうとします。これらのベールは深遠かつ抽象的な領域で、神性が顕現されるところではなく通過するところです。したがって、完成のベールと呼んでもおかしくないが、ズルトと呼ぶことも可能なはずです。
ここでのキーワードは「感化力」、つまり、神秘的な力の発揮です。完成点とは、カバラの要素が「存在」するところではなく、カバラの要素が「影響を受ける」ところなのです。言い換えれば、物理的存在はなく、影響力、つまり、運動・形態の変化などを生じさせるエネルギーを持つ領域なのです。その役割は、各界に存在する10個のセフィロトを通してアイン・ソフ・オウル(Ain Soph Aur, 無限光のベール)が発する神性エネルギーを表に引き出すことです。この原理を当てはめると、同時にこの領域は、クリポトからエネルギーを表に引き出す役割も持ちます。このエネルギーは、「クリポトから神聖な火花、閃光を生じさせる」エネルギーと類似しています。
完成点は静的なのか?私たちがある計画を完成させたとき、そこには完成物が残ります。静的でありながらも、そこには創造に費やされたエネルギーが内在します。しかし、完成物そのものには、動的エネルギーはもはや存在しません。私達はある物事を完成させたとき、空しさを感じることがあります。活動はもはや止まってしまい、創造の産物、完成物は創造に使われたエネルギーを失ってしまいます。しかし、完成物はしばしば別の方向に実発展な状態を生じさせ、 今度は別の方向に創造力を展開させていくケースも少なくありません。
これは、第五の世界ではなく、第四のベールと呼ばれるものに違いない。この文章を書き上げたあと、私はもう一冊別の本を購入して読みました。Rabbi David Cooperの "God is a Verb"という本です。このエッセイを書きながらこの本を読んでいますが、なんとそこには、「五つの世界、魂の五次元」と記された章があるではないか!
クーパーはこの第五の世界をアダム・カドモン(Adam Kadmon)と呼び、アツィルトの前に存在する人類全ての源であると説いています。
彼は、生命の樹の魂の界層にはアッシャー、イェツィラー、ブリアー、アツィルトに加え、アダム・カドモンも存在するとし、またこれらに関連するものとしてネフェシュ、ルアク、ネシャマー、キアー、イェキダーについても記しています。もっと詳しく紹介したいのですが、長くなるので今回はこの辺で終わることにします。また近いうちに皆様にお目にかかれることを。
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